1957年
当店の目の前は入間基地(当時のジョンソン基地)でした。その当時の時代背景としてまだ日本はドライクリーニングが一般的に広まっておらず、大半のお客様は基地に勤める米軍兵でした。
当店のもともとの、この場所での営業はクリーニング店ではなく実はその当時の米軍への方が買うお土産物を販売していたというところから始まります。またその当時の祖父が日本画家がだったというキャリアもあり、いろいろなものを販売していました。
例えば、絵を描くために撮影目的で捕まえた鳥を店先に展示していたところ、「その鳥を売ってほしい」というアメリカ兵の方に小鳥を販売するようになったりと実に多様でした。当初はそのように、多様なお土産物店として今とは全く違った事業運営があった状況です。
1960年
その中で、知人から「クリーニングの受付をやってくれないか」と誘いがあり、クリーニングの取り次ぎ事業も開始することになったというのが、現在のトヨダクリーニングの始まりです。
週末になると、ランドリーバッグを担いだ米軍兵が来て作業着だったり、パンツだったりとか下着も全部洗っていました。今でいう洗濯代行という事業に当たります。
この当時の日本ではまだ、ドライクリーニングという洗い方の技術は一般的に浸透していません。そのため、今のような機械設備はどのクリーニング店にも置いていない状態です。そのため特殊な洗いとして当時は「ドライ屋さん」というドライクリーニングを専門にする業者の方がいらっしゃいました。
水洗いのものと、ドライクリーニングのものを分けて、ドライ屋さんで洗ったものを当社に持ち帰って、天日干しをするなど多様な洗い方をしていた背景もございます。
1970年
しばらくは順調だったクリーニングの取り次ぎ事業も、ジョンソン基地が日本に返還されて米軍辺がアメリカに帰った頃、クリーニングの売り上げが低迷した時期もありました。
そこで、今でいう福生の方まで宅配クリーニングの訪問営業に行ったりと、これまでと違った訪問型スタイルのクリーニングがメインになったタイミングもあります。
実はこの近辺では6件もクリーニング店舗が連なっていました
基地があった頃はこの辺の店先の6件が連なって、それぞれ違ったクリーニング店舗という状態でした。結果的に現在まで残っているのはトヨダクリーニングというかたちになるのですが、それほどまでにジョンソン基地の米国系の方を対象にしたクリーニング店というのは活気があったわけです。
1974年
その後、クリーニングの事業により一層専念するために、トヨダクリーニングの自社でも当時最新のドライクリーニング機械を多額の投資で購入し、そこからまた事業が拡大しお陰様で多くの地元のお客様にご利用頂いております。
1980年
現在の立地は、今でも米軍兵時代の名残もあり、すぐ近くには今でも夜の飲食店様が軒を連ねています。お陰様でその中でのクリーニングのニーズも当然あるのですが、大きなデメリットとしては昔からタバコの不始末などで火事が多発したというエリアでもあります。
もらい火により、この辺一帯が火事になってしまうという災難が過去に3回もあったのです。結果的に、当社は60年の間に4回もの社屋の立て直しというのをしてきた状況があります。
火事になった際には真っ先にお客様の品物を外に出すことになりますので、お客様のお品物を救出している間に、家の中のモノがほとんど燃え尽きてしまうということも幾度となくありました。そのため、残っている昔の写真は少ないのですが、残っていたとしても端が焦げていたり。幸いにしてクリーニング工場は少し場所が離れているので、工場の機械設備の大きな被害は出なかったことは救いもあります。
2005年
その後、火事などの被害はありましたが、ドライクリーニングの事業が堅調に伸び、事業はどんどん拡大していきました。その中でお客様のご自宅にお伺いする宅配クリーニングの売り上げではなく、やはり今のようなスタイルで店舗を運営するのが売り上げの主軸を占めるようになってまいりました。
一層高いクリーニング品質と、工場設備の見直しや当日仕上げのご対応、接客などのトータル品質。「トータルのでのご満足感を提供する」というところで必至に学び続けて17年の歳月を経ています。今では、さらに多くのお客様にご利用いただける店舗となってきております。
それまでは、店舗の外観からも、なかなか入りづらい店舗だったということも自覚しておりました。店の前を通り過ぎて、近くのクリーニング店にお品物を持っていかれる、ということもあったことを覚えております。
その中で何よりも重視しているもの。それはやはり変わらず「クリーニングの品質」です。高い品質を提供する一方で、より多くの点数を仕上げられるように全面的に見直していく。過去とはまるっきり違ったことをしないといけないという覚悟もあり、とにかく必至で学び続けて来ました。
2022年
このたび、2022年1月に店舗改装も無事に完了致しました。益々地域の皆様の洋服メンテナンス部隊として、精進してまいります。